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新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

神社めぐりをしたのは、2回目の断食中でした。

昨日に続いて断食ネタですが、幣立神宮に行った日は、ちょうど断食の2日目でした。

この2回目の断食は、梅干しやなにか自然食品をそろえるもの面倒だったので、一日一回夕方に具のない味噌汁を軽く一杯だけ飲むことにしました。

 

2回目となると体が慣れるのか、味噌汁が良かったのか、2日目でも全然飢餓感がありません。

ただ、12月中旬。時期も時期ですから、寒くはありました。

そして、150段くらいの神社の石段を普通に上がり、竜神の池への階段も昇り降りし、車に戻ってから写真を撮り忘れた個所に気づいてまた石段を登り、帰り道には草部神社の石段をまた150段昇り降り。

かなり歩きづめでしたが、寒いこと以外は、食べている時と変わりませんでした。

でも、有名なパワースポットなのですから、もしかしたらこの日は神社から何かエネルギーをもらっていたのかもしれませんね。

 

次の日、つまり3日目もそんなに飢餓感はなく、体が慣れている感じでした。もう、腸の大掃除は済んでいるのか、今回は排泄が全然ありませんでした。

ただ、思いつきで断食を始めたものですから、開始前に炊いた米があまりまくっていて捨てるのがもったいなく、断食は3日目の晩で終了しました。復食は気を付けて少しづつしなければいけないのは分かっていますが、夕方5時頃に野菜入り味噌汁を飲み、7時ごろに普通にご飯を丼2杯と野菜中心のおかずを平らげました。

私は、食べないときは食べなくていいのですが、食べるとたくさん食べちゃうんです。

 

断食の感想。断食中って、何かしていないとむなしく感じるんです。

でも、このむなしさが、もしかして悟りの状態に近いのかなって思います。昔何かの本を読んでいて、悟りの本質を表現しているのをうろ覚えで思い出しました。

「悟りとは、お宝いっぱいの大きなお寺に泥棒に入ってみたら、ガランとしただだっぴろい御堂だったという感じ。」・・・でしたっけ。

だから、神社めぐりはちょうどよかったです。何もしないとむなしい分、何かするには時間はたっぷりあるんですね。

 

また、食べることから自由になるって、タバコをやめた時に似ていると思います(私はかつて、ヘビースモーカーでした)。

タバコは完全にやめてしまえば、やめたメリットがあるというより、デメリットがなくなったと感じるだけです。やはり、自由になったと感じると同時に、むなしさはあるんですね。

 

ちなみに、断食を割と簡単にできたのは、断食前から「意志をためていた」からだと思います。やりたくてうずうずしていた期間があったんですね。

ついでに言えば、タバコもきっと同じです。吸いながらも、いつかやめようと心に決め、吸わなくなった時の自分の人格を別に作っておいて、その吸わない人格が育って来たと感じたら、ある日決断してそっちに乗りかえる。これが成功のコツだと思います。禁煙って、一本でも吸ったら負け犬みたいな気持になります。でも、その時に吸う人格が出て来ちゃっただけ、という気持ちで、吸わない方の人格はきれいなままのイメージでいる方がいいのじゃないかと思います。

とはいえ、私の場合は心不全の緊急手術で、その入院中から吸えなくなっただけです。だから、タバコを止められたのはラッキーだったんです。

 

3日食べなきゃ、7割治る!

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