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新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

宗教論 一人がいいのか、大勢か、組織か ?

私が宗教って嫌だなあと思う部分は、勢力拡大の為に組織づくりをしないといけなくて、そうすると中には神様関係なく組織運営で利益を得ることができちゃう人が出てくるところです。

特にお布施ってのが、洗脳と紙一重ですよね。

 

高橋信次さんの「人間 釈迦」という本を読んだことがあります。面白かったです。お釈迦様は、王子として生まれてきて、出家して悟りを開いたら、物乞いで生活をたてるようになるんですね。差別用語で使用していいのかわかりませんが、仏教の創始者は、王子から乞食になったということです。

だから、インドには乞食が多いんですね。お釈迦様の功罪でしょう。

功の部分で言えば、「与えるものが受け取るもの」という真理(?)を、身をもって教えることになるのでしょう。お釈迦様に何かを差し上げた人たちはきっと、めぐりめぐってそれ以上の何かを受け取ったと思います。

 

「人間・釈迦」によると、お釈迦様、つまり仏陀は、毎日托鉢して、ほどこしがある時は受け、無い時は我慢という生活をしていました。しかし、尊い仏陀の教えを組織化して広めたいと考える弟子の1人は、組織全体の食い扶持を稼ぐために托鉢で「貯蓄」をしようと考え始めます。これはお釈迦様の教えには背いていますが、教えを広めるための必要悪だと考えるグループが出てくるのです。まさにこれは新興宗教の組織化グループと同じ発想です。

 

つまり、お釈迦様の時代から、宗教の組織化によるデメリットは存在していたのですね。「人間・釈迦」の内容が真説かどうか別にしても、十分にあり得る話だと思います。

 

だから、私はやたらとお布施を強要しつつ勢力を伸ばそうとする宗教には気を付けているし、もうこの歳でそんなものに引っかからないだろうとは思っています。

 

しかし、1人より大勢の方が祈りも効果があるというのも理解できます。一人一人は完全に独立した人格であって、それでいて皆で共通の願いを祈る(世界平和とか)方が効果があるのは間違いなさそうです。

いわゆる100番目の猿現象ですね。大勢の人の意識の変化は、無意識にアクセスするから、世の中をいい方向に変えようと思ったら同じ意識の人を一定数集めないといけないと。

 

で、人が集まったら、やはり取りまとめの管理者は必要になります。この矛盾も、どちらかに偏り過ぎてはいけない、タオマークのようなイメージを忘れてはならないと思います。

 

大勢と言えば、もうすぐ年明け、初詣です。

気に敏感な人は、大きな神社の初詣に行くと、私利私欲の願いの想念が渦巻いて、気分が悪くなるそうです。

もし、同じ数の人が、自分の願いのついでにみんなで平和を願えば、すごいパワーになると思います。

そんなわけで私は、今年こそ*1阿蘇神社に初もうでに行って、阿蘇山の安全祈願をしようと思います。

自分が変われば世界が変わるのですから。

*1:家に神棚があるのに、今年は初詣に行くのを忘れていて、お札を変えていないんです。神棚を買ったばかりの頃は、ちゃんと榊とかも備えていたのに・・・