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新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

神様の封印ということについて素人ながら考えてみる

半年くらいブログの定期更新をしていなかったものですから、過去と重複している話を書いていたらすみません。

アタマで考えただけなのか、書いたことがあったかどうかの記憶があいまいです。

 

神様って、人間より偉いのが当然の認識です。まあ、その人間の本質が神であり、外側ではなく自分の内側を探っていくとそれが究極の絶対創造神様とつながるということも頭では理解できます。

が、自分が敬うべき大きな存在が外側にあると考えるのが自然信仰、縄文の神様信仰だと思います。

 

日月神示の封印された神様であるウシトラノコンジンとか、瀬織津姫様の封印とか、これには違和感ありありです。

聖徳太子とか、菅原道真とかならまだわかるんです。聖徳太子が実在しないとしても、その辺りの時代に生きていた人か、または集団程度ですから。人が人の霊を鎮魂して、祟りがないように封じ込めつつ篤く敬うことでその霊力を頂く。まさに地獄先生ぬーべーの鬼の手のようなものです。

 

いくら悪魔的な大きな勢力がいたとしても、天地を創造するような根源神の方が絶対に上の立場だと思うのです。

だから封印なんて絶対にできっこなくて、自らを封じたと考えるのが筋でしょう。

日月神示ではこれを、天の岩戸隠れで表現してますね。天照オオミカミの他にも、イザナミが亡くなった時など数回にわたって岩戸が閉じられ、まだ今でも開ききっていないと。

 

瀬織津姫大神の場合も同じく、人に封印されるような小さな神様ではないと思うわけです。この辺は諸説あって意見は分かれますが、瀬織津姫の「姫」というイメージが独り歩きしている感が私にはすごくて、やっぱり「比」に「口ヘンに羊」か、「士の下に買」でヒメと読む方がいいのではないかと思います。そういう私も漢字変換が上手くいかないので、姫と書いちゃってますが。

まあとにかく、水を司る程の神様がもと人間なんてちっぽけなわけがないし、封印ではなくて、自分で隠れたのだろうと。

 

じゃあ、なんで隠れるのかって話です。

きっと、ゲームで言うところの「リセットボタン」を押すわけにいかないからでしょうね。神様は万能なのだから、素晴らしい世の中くらいその気になれば簡単に作れると思うのが普通でしょうが、神様が直接手を出すと、あっという間に究極の世の中が出来上がって終了しちゃう。

ロールプレイングゲームで言ったら、いきなりヒーローがボスキャラを倒して、ヒロインと結婚して、もう何もすることがなくなっちゃうんですね。

それじゃ、つまらない。ドキドキワクワクして、時に悩み、小さな喜びをかみしめ、悲しみも体験する。神様は究極なのだから、自分ではそういう経験ができない存在です。

だから、この世の中は、神様が「いのちだいじに」のモードにでもして、自動操縦のドラクエを楽しんでいるような状態です。

ただしゲーム攻略にあたって、「このステージまでにこのレベル達していなかったら、このゲームのボスキャラは倒せないんだよな。」ということは当然分かっています。

 

そろそろ自動操縦をやめて自分でちゃんと操作しようかなと、モードを切り替えるのが封印が解かれるということだとしたら。

良い方に考えるならば、「よーし、今からなら神様が本気だしてもいきなりクリアはしないから、ここからはしっかりマニュアル操作でこの世を楽しもう!」です。これはもう、天国のような世の中がやってきます。

 

そうでなくても、せめて「今ならまだ立てなおしがきく」、と思って出てきてくれればいいのですが。

 

「もうどうせダメじゃん」と、リセットボタンを押す為に封印を解いて出てくるのだとしたら・・・

 

・・・やっぱり神様は畏れ多い存在です。

レベル上げに、一つ一つはちっぽけな争いですが、自分たちでできるだけなんとかしないと。

 

あ、ただし、キリストが実在したと言われているように、瀬織津姫様の分け御霊を持った人が過去にいたことはまだ否定できません。

そんな人を封印したからって、大元の神様に影響があるのだろうかとも考え併せての話ですがね。