新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

神様の名前の封印ということを、昔のマーケティングと考えてみる。

封印された女神様の瀬織津姫。神様の封印。もうめちゃめちゃキャッチーなコピーです。

太古の昔に閉じ込められた美しいお姫様がいて、現代に生まれた自分が謎を解き明かし、自分の祈りの力で助け出してあげる・・・。なんて素敵なストーリー!

 

最近はやりの浅はかな意味での「パワースポットめぐり」もマーケティングの一種でしょうし、それで自分がワクワクできる、明日への活力になるというならもう全然かまいません。馬鹿にするわけではなく、そういうのもひっくるめて心の潤いであり、宗教心だと思っています。

私はむしろ、周りからデクノボウと呼ばれても、ソウイウモノニナリタイ。くらいです。まあ、自分がお姫様を助け出してあげるなんておこがましいことは、もちろん考えていませんが。

 

のっけから思いっきり話題がそれていますが、信者あっての宗教ですから、マーケティング戦略が必要なのは当然でしょう。大勢の想念が変な信仰宗教の大勢の邪念が悪神を呼び寄せる怖さもありますが、もともと想念の塊が神様だという側面もありますし。

 

阿蘇神社」という神社の宮司さんが書いた、言ってみれば阿蘇神社公式ガイドブックを持っています。そこには、割と赤裸々な歴史が書かれているのです。

私流に要約するともっと下世話な言い方になりますが、以下ご勘弁ください。

 

古代はそれぞれの地方がクニであり、阿蘇神社阿蘇を治めるクニの神様としてその地方からの税や貢物で成り立っていた。でも、中央集権国家になってからは、税は全部中央に持っていかれる。神社存続の為には、強力な神様がいるとアピールして中央からの補助金を貰わないといけない。こうして、健磐龍命といういかにも強そうな神様の名前を作って、それが神武天皇の子孫の娘婿だとした。

(さらに私流に解釈を加えれば、娘婿ってのもちょっと弱いから、御祭神である火口もいつの間にか健磐龍命になった。)

 

・・・乱暴な言い方ですから、地元の方は気を悪くされるかも知れませんね。でも、阿蘇津彦と阿蘇津姫のペアの神様って、なんだか地味な阿蘇の当時の一般市民(あ、まだ町民か。いや、もっと前の話ですね。)っぽいですよね。

これは、阿蘇山の霊験とかそういうレベルの話ではなく、本当にマーケティング上、芸名があった方がカッコいいしウケがいいという話です。

 

言うなら地味で小柄ななプロレスラーが、実力は同じなのに「獣神サンダーライガー」というテレビアニメの覆面をつけたら急に人気が出たのと同じでしょう。

元からの、本当にコアなファンは、ライガーの中身を知っています。でも、ライガーの人気に影響するし、他のファンの夢も壊したくないから、あえて中身には触れません。

プロレス会場で、もし素顔の中の人とすれ違っても知らん顔です。

こうしてライガーの中身は、封印されたのでした・・・。

 

 

かたや。本当に一生懸命練習していて、すごく実力はあるのに、今ひとつ体格とルックスに恵まれない、イノキとおんなじの黒いリング用のパンツとシューズの新日本プロレスの男たち。彼らは全て、個性を持った別々の人格なのに「新日のレスラー」とまとめられ、一人づつはクローズアップされません。そんな彼らが口々に言いました。

「もうその、『新日のレスラー』って言い方、やめてくんないかな。てか、それ封印ね。もう、黒いパンツやめて金髪にするわ。」こうして、瀬織津姫という名前は封印されました。

 

ちょっと、表現がふざけ過ぎですが、瀬織津姫に関してはそのくらい突飛な仮説です。

思うに、瀬織津姫ゆかりの、と探し始めると逆にあまりにも可能性の高い場所が多すぎるのです。だって、水の神様だし、ほとんどの神社は御手洗がありますから。

さらに言えば神社は穢れを払う場所だし、瀬織津姫は祓いの神でもあるって。

機織りの神様は着る物の神様でしょうし、織姫と彦星は妙見信仰(北辰=北極星)とつながるし。

 

水という最も根源的で、直接的で霊験あらたかな神様が万人の身近にいたら、宗教を利用しつつ人民を統治していこうという存在にとっては邪魔でしょうがないでしょうし、逆に阿蘇神社のように独自固有の神様を立てるという発想から、不動明王、弁天様、十一面観音(つまり観音様)、ミツハノメ、etc・・・と地方や宗教宗派によって特色を打ち出し、名前を変えたのではないでしょうか。

アマテラスオオミカミは、マーケティング上で言えば、そのほどほどの加減がわかっている人が確立したシステムかなと。

言ってみれば、封印されている、隠されているのではなく、例えば不動明王は大元の瀬織津姫教の下の宗派にすぎないのに、自分が開祖だと言い張っているような感じですかね。地方に瀬織津姫の名前がそのまま残っているのは、中央と隔絶されすぎていて、わざわざ固有の神を打ち立てる必要がなかったからかと。

 

私は個人的に、稲荷神社にはあまり魅力を感じません。どこにでもあって代り映えしない神様が、あまりに過分な祀られ方をしているように見えてしまうからです。

でも、もともと瀬織津姫がそういう性質の神様ならと思うと、私の信心深さなんてなんていい加減なのだろうと思わされます。

 

ただ、もし仮にこの仮説があっていたとしても、まだ私は瀬織津姫のことを考えるし、神社や山や川、湧水をめぐって歩きまわると思います。

神様との縁を感じる貴重な時間ですから。