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新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

阿蘇高森の祖母神社って阿蘇都媛の神社だったのですね

阿蘇都媛、いや、阿蘇津姫と書いた方が一般的ですが、もちろん阿蘇では有名な健磐龍命の妻神です。美しいお姫様のイメージの神様が、祖母、つまりおばあちゃんってなんだかピンときませんね。だから私はてっきり、この神社は祖母山の名前からきているものだと思っていました。

 

天皇家の先祖をたどると神話の神様まで行きつきます。実は建前だという人もいますが、いわゆる万世一系、日本は世界一古い国であり同時に天皇は平たく言えば日本の安全を祈願する宮司さんの役割をもっています。

最近になって知ったのですが、阿蘇神社宮司さんも、その天皇家の遠い遠い親戚にあたるのですね。

神武天皇の孫が健磐龍命阿蘇神社祭神)で、ひ孫が速瓶玉命国造神社祭神)、そしてその子供が惟人(=彦御子)。

この惟人という人(神様)が初代の阿蘇宮司だそうです。

 

その子孫である阿蘇宮司の友仲公がこの地を訪れて、阿蘇都媛が祀られている神社を発見しました(※下の由緒書きには、その友仲公がこの神社を建てたと書いてありますが、ここでは発見説を選択します)。

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友仲公:「おお、阿蘇都媛って、初代大宮司の惟人のお祖母ちゃんが祭られているってことじゃん。おじいちゃんのは珍しくないけど、お祖母ちゃんって。よっしゃ、ここはこれから、祖母神社って名前にしたらどう?」

・・・という意味のことを歴史的仮名遣いで言ったようです。その時からここは祖母神社という名前になったとのことです。

 

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こちらも「梨木平の桜」さんのブログで紹介されておりました。

ただ、私がここを訪れたのは、まだ阿蘇津姫=瀬織津姫だと知る前でした。

 

低く垂れさがったしめ縄が、「冷やかしなら入るな」と言っているようでもあり、「頭を下げなさい」と言っているようでもありました。

でも真ん中は神様の通り道だと知っていますから、柱ギリギリの内側を通りました。

とんち勝負は私の価値です(もちろん、入る前に一礼はしましたよ)。

 

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階段手前に、龍の御手洗が!

この手前にもう1つ、一般的な御手洗がありましたから、これは何か特別な感じです。

近づいて行くと・・・

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御塩井の文字。

最近のここ最近の瀬織津姫様騒動を知っている人は、何でも瀬織津姫に結びつけるのに抵抗があるでしょうが、やはりここで御塩井の文字を見ると感じるものがあります。

 

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拝殿。つい、光の入った写真を選択してしまう(笑)。

もちろん光は太陽ですが、このイメージ通り神々しい感じはしましたよ。

左右に赤い屋根の境内末社があります。

この神社は阿蘇神社の十二宮から健磐龍命を除いた十一宮(九宮の説も)あるそうですから。

向かって右側の祠は、扉が壊れて荒れた感じです。

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阿蘇神社の神様はほとんどが夫婦で祭られています。

だからなのか、男女ペアで雛人形のようになっている祠をよく見かけます。

 

で、拝殿に向かって左側の2つの祠はというと・・・

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また、あえて光を入れてみました(笑)。いや、神々しいんですって。

それより、手前も阿蘇神社の配神ペアのようですが、その奥の赤い屋根の祠は、八幡宮なんです!

これも安易に瀬織津姫って笑われそうですが、八幡神社は宗像三神も祀られているのです。こんな小さな神社(失礼)に、阿蘇の十一宮も祀らないといけないのに、八幡さん一戸建てですよ。

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しかもなんか、ここが一番こぎれいな感じが。

 

瀬織津姫の話題は置いておくとして、ここ高森、南阿蘇地域はちょうど草部神社と阿蘇神社のあるいわゆる阿蘇谷と言われる地域の中間にあります。

 

ここからは、私の妄想に近い想像です。

昔は湖だった阿蘇カルデラでは、水はけの良い高台や外輪山の麓から人々の暮らしが始まりました。カルデラの外の草壁が最初の開拓地で、その後高台続きの高森からカルデラに入って外輪山の内側沿いに進み、一番奥の国造神社からだんだん平野を開拓していったのではないかと思います。だんだん阿蘇山の麓まで、草部の一族からしたら逆走して近づいてくる感じ。

だから、南阿蘇の開拓は比較的遅く、阿蘇カルデラの北半分にすぎない平野を阿蘇谷と呼ぶのでしょう。

 

その南阿蘇では草壁の一族、つまり阿蘇に嫁いだ阿蘇津姫を懐かしむあまり半ばアンチ阿蘇のような人たちが、阿蘇神社の影響力から微妙に離れてひっそりとくらしていたのではないでしょうか。

建前は阿蘇一の宮の神社に遠慮して、と言ってますが、本当は阿蘇津姫の巫女としての霊力を崇拝して建てた神社。

そこに、阿蘇谷を開拓し終わって今度は反対側、と下見にやってきた阿蘇神社の関係者に見つかってしまい、「公認」を頂いてしまって複雑な思いの人々。

 

なんだか、月に帰ったかぐや姫を懐かしむような悲しむようなファンタジー感じるのです。

・・・いや、本当のことは知りませんよ。

なんかほら、判官びいきってあるじゃないですか。