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新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

瀬織津姫についてはどこまで遡ればいいのでしょう?

私が初めて「瀬織津姫」という言葉を目にしたのは、山水さんの「瀬織津姫意識」という上下巻の本でした。

過去の自分のブログを読み直すのも面倒なので(笑)、記憶違いもあるかもしれませんが、当時はまだ古事記の神様どころか神道と仏教の違いすらよく分かっていませんでした。

私の中では七福神は結局のところ仏教なのか、神道なのかが一つのキーワードでしたから、同じように神道仏教両方にまたがるとされている瀬織津姫という名前はまさに「キーワード」のように感じられました。

これは調べる価値がある、と思いつつも古事記関連の神様の知識を仕入れるのと同時並行でしたし、とりあえずは店頭にある山水さんの本を買い漁っていました。

かなり探しましたが、店頭にある瀬織津姫の本は山水さんの本くらいしかありませんでしたから。

しかし、最近の著書ではニギハヤヒとベートーベンを結びつけていたりして、だんだんなんでもありになってきました。それとともに、山水さんには「姫スイッチ」のようなものがあり、トークショーに訪れた人や実際に山水さんに触れた(触ったという意味でなく、知りあったということです)人はそのスイッチが入るので姫の香りを感じることができるようになったりと、なんらかの不思議現象が感じられるようになると書いてあるのが、なんだか「本当かな?」と思えてきました。

実際に近くに来ることがあったらそのトークショーに行ってみたいなと思っていましたが、最近は登録商標の問題からいろいろとネット情報が入り、行くまでもないかなという気がしてきました。

 

ただ、私も山水さんに感化されて実際に何箇所か神社を回ったりしたら、水平虹を見たり、神社でミントのようないい香りを感じたりと、本に書いてあるような経験をしたのも確かです。最近では、これらの現象は一時期に流行った「雲消しゲーム」の少し応用編であり、自分の意識で作りだしているのかなと考えてしまう程です(考えようによっては、この方がずっとスピオタ発言ですが、なんとなく神社で神々しい逆光写真のアングルを探してしまう程度のことです)。

 

スピリチュアリストが実は低級霊のカモにされているだけ、というのはよくある話です。低級であっても一応、この世以上の存在なので、あの世でしかわからないことを言い当てたりはできるのですね。

最初は良かったのに、だんだん言うことがおかしくなってくる作家というかスピリチュアリストは結構います。

また、オウム教は最初からカルトでしょうが、教団に関係なく「オウム」という響きが聖なる音であることは本当だと思います。オウム教が悪いから、お釈迦様も悪いというわけではありません。

 

オウム教を通じてお釈迦様を知ったと例えたらあんまり過ぎるでしょうが、山水さん独自の考えを外して本来の瀬織津姫を知るには、どこまで遡ったら良いのでしょう?

 

私は今でも、ミズハノメ(ミツハノメ)は=瀬織津姫と思っていいように感じています。しかし、それは人間ではない大きな水の神様としての私のイメージですから、「これを言い出したら何でも瀬織津姫」になっちゃうのかも知れません。

 

マグダラのマリアというのは、どうなのでしょう。イエスが実は既婚者で、その奥さんが聖母マリアとは別の(あるいは混同された)、マグダラのマリアと呼ばれる女性だと。時の権力者に都合がいいように真実を隠された(封印された)点が瀬織津姫と同じだから、=瀬織津姫だというのですね。というか、山水さんに虹と香りでそういうメッセージを送っているのですね。

これについては、一緒くたにする必要もないとは思うのですが、山水さんは思想的には高橋信次さんに傾倒しているようです。高橋さんによるとお釈迦様とイエス様はお互いソウルメイトのような関係で、お釈迦様が生きていた時の守護霊がイエス様、逆の時は立場が逆だったというのですね。私も高橋さんの「人間 釈迦」を読んだことはありますから、一理あるとは思います。しかし全部まぜこぜにしてしまうのは違うでしょう。

 

山水さんの本、最初の方にいくほど面白かったのですがね。マニアックさが。なんであれ、一つの事を一生懸命つきつめようとする姿勢は興味をひくものです。

私は、「これまで、騙しやがって!」とは思っていません。

今後は、どうなるのでしょう。

「私が批判を浴びることで、ひた隠しにしていた神社庁の方々も瀬織津姫という名前を無視することができなくなった」とおっしゃるかも知れませんね。

実際にそうかもしれません。しかし、必要悪も悪ですからね。