新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

年末も近いことだし、ここまでのセルフまとめでも。

周りから見たら有名な観光地でも、地元の人はその価値に疎いというのはよくあることです。私も、よそから阿蘇に移り住んできたとはいえ一年くらい前までは、観光スポットである阿蘇神社へも阿蘇山へも滅多に行かないという意味では「地元民」でした。

 

それが、いつの間にか神道や神社、そしてアミニズム(自然信仰)スポットにすっかりハマっています。きっかけはと言えば、ブログを書き始めたことでしょう。それらに興味があって書き始めたのではなく、書き始めたら次々と「引きよせ」が起きた感じです。

 

ただ、ブログを書くより前にプロローグ的なエピソードがありました。

プロローグ

阿蘇の坂梨に浄土寺牧という公園があります。ほとんど阿蘇カルデラの外輪山の内壁に沿うような急斜面の麓にあります。その急斜面というかほとんど崖を登って行くと、いくつかの石仏が祭られているのです。

それはもう、地元の人でもほとんど噂でしか知らないような場所です。実際、地元の人と一緒に探して発見しましたし、長年この地にいらっしゃる方が初めて石仏を見つけて感激していらっしゃる風でした。

その過去ログのリンクを2つ貼っておきます。

 

神様に呼ばれたのか、呼ばれた人にサポートしたのかよくわからない話

結局、浄土寺牧に行くことになってまたびっくりした話

 

不思議なことに、初めに行った時は馬頭観音にしか気がつかず、2回目は十一面観音を見つけたのです。

 

阿蘇山小規模噴火

ブログに乗せる為に欲しかった写真を撮ることをきっかけに、内牧温泉から本当に気まぐれで大観峰に上がりました。帰り道には何と国造神社に迷い込んでしまいました。そしてそれは、阿蘇山が約20年ぶりに小規模噴火をした日でした。

阿蘇はそれより前の平成24年に九州北部豪雨う災害があり、特に坂梨地域は大水害に見舞われました。

不思議なことに、私にはそれらが何か女性の怒りのように感じたのです。神様に性別があるのもおかしいと思いつつ、それでも阿蘇山の神様は女性なのじゃないかと思いました。

ちょっとこの記事内では話が前後しますが、ここも一応リンクを2つ。

熊本県阿蘇の「垂谷の滝」に登ったらすごい道だった・・・ - 超まにあリュージョン!

 

瀬織津姫って? - 超まにあリュージョン!

 

瀬織津姫という神様

瀬織津姫という神様の名を知ったのも奇妙な引き寄せです。

神社に興味が出て、古事記の神様の勉強でもしようとたまたま本屋で手に取った本が「瀬織津姫神話」という本でした。そしてその本には、家から車で5分もかからない場所にありそうな神社の話が載っていたのです。

 

地元の誰も知らないような、でも知る人ぞ知る小さな神社に導かれたような話 - 超まにあリュージョン!

 

結局、瀬織津姫古事記の神様ではなかったのですが、昔に隠された神様であり、それは不動明王・弁財天・十一面観音等に封印されているという事が書いてありました。

私の生まれ故郷は上杉謙信のお膝元、新潟県ですから不動明王はもともと大好きです。

かたや弁財天は芸能の神様です。私は一応動物ショーをするパフォーマーですから、七福神の中でも弁財天が一番好きでした。

そして阿蘇山上にあるお寺、西巌殿寺奥の院のご本尊が十一面観音だったのです。

だから私は瀬織津姫という神様のことが知りたくて夢中になりました。

 

国造神社に立ち寄った時に、その近くに「垂谷の滝」があると知り、改めて行ってみました。しかしそこは水害で道は荒れはて、祭られていた不動明王が水害で流れてしまい、同じく祀られていた弁天様だけが残っていたのです。なぜまた不動明王と弁天様なのか。私はそれらの神様が祭られているとは知らずに行ったのに。

この頃から、神社やこういったスポットに呼ばれて来ているような感覚を覚えましたし、それらが同じ神様の別の顔なのじゃないかと肌で感じられたのです。

 

ホ・オポノポノのような感覚で神社へ

ホ・オポノポノというのは精神世界では有名な言葉で、ハワイに伝わる自己ヒーリング法ですね。私の理解では、この世は完全に調和した幸せな世界であるのに、この世界を感じることができる唯一の意識、つまり自分にいろんな不要なもの(業とか?)がくっついているから調和していることが実感できないと。だから何かを付け足すのではなく、ひたすら要らないものを外す(クリーニング)することでこの世(と、それを感じることのできる自己)がクリーニングされるという教えです。

代表的なクリーニングの方法は、だだ心の中であらゆるものに「ごめんなさい」「許して下さい」「ありがとう」「愛しています」と語りかけるだけ。

 

私は、自分が神社などの聖地を回って阿蘇の安全を祈願する必要があるように感じられました。もちろん、そのおかげでこの地の人々を救うとかそんなレベルの話ではありません。表現しがたいのですが、例えば選挙の投票率が40%だったとか50%だったとか新聞が騒いだとしても、自分にとっては行くか行かないか、0%か100%かのどちらかしかありません。この世は自分を通してしか感じられないのだから、私の現実は安全祈願をしないといけなかったのです。

 

阿蘇津姫が瀬織津姫

このようにブログを書き、神社を巡りながらいろいろとびっくりするような「引きよせ」や「気づき」を感じましたが、一番びっくりしたのは、「梨木平の桜」というブログを知り、その中で阿蘇津姫が瀬織津姫だと書いてあったことです。

それと、「阿蘇神社」という本で、もともと阿蘇中岳の火口の御池は女性神である阿蘇津姫だったと知ったこと。

これも不思議なことに、その本は結構早い段階で入手していたにも関わらず、その情報は最近になって知ったのです。まるで私が古事記阿蘇の神様についてある程度の知識を得るまで、そこに書いていなかったのじゃないかと思うくらいでした。

阿蘇都比咩命が瀬織津姫って説にもう、ただただビックリ! - 超まにあリュージョン!

 

まとめ まだまだ知らないことばかりですが

瀬織津姫の名前を知ったのは山水治夫さんという人の本からですし、梨木平の桜さんのブログを知ったのは、奇しくもその山水さんが瀬織津姫という名前を商標登録したという情報を介してでした。

これはブログに書いたことがないのでまとめにはなりませんが、宮崎県高千穂の「瀬織津姫」と書かれた鳥居のある神社に出かけた時、初めはそうとうに期待してウキウキワクワクしていたのですが、なんだかものすごくさみしい雰囲気でした。

神社にも神様がいる時といない時があるそうですが、たまたまお留守というよりも、空き家のような感じがしました。それでも手を合わせたり、記帳したり、ロウソクに火をつけてみたりといろいろと時間をつぶし、いつまでもそこにいましたが、だんだん悲しくなってきてその場を後にしました。

 

鈍感な私でも少し、ほんの少しだけ神様がいらっしゃる時の清々しさとそうでない時の違いは分かってきたような気はします。

 

感覚も大切にしつつ、もっと知識も増やしていこうと思います。

何の為かと言ったら、とりあえず自分が何を知りたいのか知るためですかね。