読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

今度はだんだん、国龍神が気になって仕方がなくなってきました。 その5 鬼八伝説

鬼八伝説を初めて知ったのは、阿蘇の霜神社を訪れた時です。

その前にも聞いたことはあったはずですが、あまり気にとめていませんでした。

霜神社の説明看板を見ると、「健磐龍命の家来の鬼八法師は~」と書いてあったので、名前に鬼がつくだけでただのどんくさい弟子なのかと思っていました。

しかし、やっぱり鬼なのですね。角を折られて、その角は高森の「角宮」に祀られているというのですから。

f:id:mrtoma86:20151221212154p:plain

角宮の祠。

 

手前に蛇口つきの御手洗があります。その御手洗から水路が伸びています。

f:id:mrtoma86:20151221212443p:plain

丸くて小さな池につながります。

その池は・・・

f:id:mrtoma86:20151221212555p:plain

真ん中に石が。

鬼八の角を水の神様に鎮めてもらっているイメージでしょうか。

 

 

鬼というか、民俗学的には鬼八と表現される先住民族という見方が大半ですが、それを言っちゃあ、ですね。

で、角つながりで「「阿蘇神話街道 ~草部吉見神話を原点として~」の著者である山村さんは、前回の牛神社の神様は実は鬼八と同一なのではないかと推測しているのですね。他で暴れていた鬼八が、ついに草部の地で国龍神に帰順したと。

確かに、鬼八は高千穂神社の本殿の彫り物ではミケヌの神に踏みつけられているし、阿蘇では霜神社の伝説(健磐龍命の弓矢の練習で、回収すべき矢を蹴り返して無礼だと切り殺された)があります。その中間地点の草部の地になんの言い伝えもないのは不自然たとおっしゃるのもよくわかります。

 

しかし私は、やはり国龍神がウシトラノコンジン(艮の金神)であるという可能性を捨てきれません。これは一種の「ロマン」であるだけかもしれません。しかしそれは、山村さんが草部神話とスサノオ神話が実は同じものかもと考えることと同じ種類のロマンじゃないかと思うのです。

もちろん、ロマンだからといって全てがただの妄想とは限りません。ロマンを感じることが、古代史について調べる興味の原動力にもなるという話です。

その意味では、瀬織津姫はまさに私にはロマンの代表格ですしね。

 

で、話は戻りますが、私はさらにかぶせて、鬼八も牛神も国龍神の一部なのではないかと妄想してみるわけです。

八幡さまが、宗像三女と神功皇后と、それを祀った方の応神天皇(諸説あり)が合体して一つの神となったように、いや、むしろその逆で、丑寅の金神が国龍神と牛神と、さらに鬼八に細分化され、それらを祀った(滅ぼした)のが日子八井であると。

もっと言えば、その巫女が瀬織津姫で、イコール阿蘇津姫。

阿蘇津姫の女系は代々巫女であり、そのお母さんは竜の女神、その子供は国造神社の雨宮。雨宮媛命は、海彦山彦の伝説と同じ干玉・満玉(火の玉・水の玉)を持っているとされています。そしてそれは、草部神社から伝わったと考えられます。

 

艮の金神は、はるか昔に封印されて、今も人々は知らないうちに封印の儀式の習慣をおめでたいものと勘違いしながら行っていると言います。

それは例えば節分の「鬼は外」であって、その鬼とは丑寅の金神であるといいます。

さすがに全てをにわかには信じがたいですが、龍がいつの間にか鬼とされて悪いものの代表扱いされながらも、かたや神社に祀られていると考えるくらいは、そう型破りな発想ではないのじゃないかと思います。

 

もともと、鬼と神様は同じものだというのが日本独特の世界観だそうですから。

そして、鬼八は地方によって「金八」とも呼ばれるようです。また、阿蘇の昔話に出てくる鬼八は、なぜか憎めないキャラクターです。どこかひょうひょうとした、いたずらっ子のようです。縄文人の野生味と素朴さを兼ね備えている感じを受けるのは私だけじゃないと思うのですが、どうでしょう。タケイワタツに追いかけたらた時、おならを8回しながら逃げた地名が今の「矢部」だというのですから。

 

ただ、角宮は実際に行ってみたら、正直怖かったし、気分が悪くもなりました。

風は強く、寒い日でした。植林の、あまり手入れがされていない林独特の細くて長い杉がたくさん生えていました。きっとそれが、最近になって少しは間引きされたのでしょう。帰り道に角宮のあたりの林をを振り返ると、その杉の細い葉っぱの塊が、イソギンチャクのようにわさわさと揺れているんです。そして、木自体も細いので風で大きく揺らぎ、時おり「ギギギ・・・」と不気味な音を立てます。

 

鬼という漢字の、上のチョンを取ると「かみ」と読む漢字になるのだそうです。

これも山村さんの本で知ったのですが、九鬼文書と書いて「くかみもんじょ」と読み、さらに鬼の字は上のチョンがないのが正しいとのことです。

 

これと同じ考え方で、「良い」のチョンを取れば、「艮(うしとら)」となります。

弓矢の練習に付き合って、99回も阿蘇谷を往復して弓を回収した鬼八は、もうフリスビー犬のような従順さです。私でなくても、健磐龍命が理不尽だったと考えてしまうのではないでしょうか。

ちなみに、このエピソードは的石伝説として阿蘇の神話になっています。

的石については、もう1つのブログで記事にしたことがあるので、よろしければ。

mrtoma86.hatenablog.com