新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

国龍神の話題から壮大な妄想へ

草部神話の真実が、私などが調べたくらいで簡単に解明されるわけがありませんが、考えるのは自由です。

 

国龍神と書いて、「くにたつのみこと」と読むようです。私は最近まで「こくりゅうしん」と読んでいました。

「くにたつ」だと、ますます「国常立命(くにのとこたちのみこと)」とそっくりです。

日月神示を降ろしたと言われるの神様は、艮の金神=国常立命古事記日本書紀では漢字が微妙に変わっていたりしますが、とりあえずこの漢字表記で統一します)だと言われています。

 

その日月神示では、「スサノオ」が「スサナル」という名前で出てきます。うろ覚えですが、スサナルが何か誤解されているかわいそうな神様だというようなことが書いてあったように思います。

 

草部神話はスサノオ伝説と似ていますし、宮崎五ヶ瀬の祇園神社にもスサノオが祭られています。祇園神社の情報しか知らなかった時には、九州でスサノオは不釣り合いなので、龍神信仰と強引にくっつけただけなのかと思いました。

 

しかしどうも、全てが関係がありそうな気がしてきました。

ここで壮大な妄想に入ります。

 

スサナルは、何か誤解される宿命を背負った存在であり、それは国常立命からの指令だったのではないかと考えてみるわけです。

指令とは、自分を封じさせること。国常立命は、この世というか日本を作った時に、もう降りていたと考えます。ニニギや神武天皇どころか、神世7代の最初から。

しかし、自分がいてはこの世から子離れできないので、スサナルを王様に指名して自分を殺させることでその地位を与えようとしました。

しかし、国常立命は、ここでカルマを作ってしまったのです。スサナルは、神を殺したカルマで地位を追われ、地方に封印されました。

しかし、もともと殺すことで始まったカルマは、殺すことではなくなりません。

だから、お互いの恨みを忘れて「抱き参らせる」ことが大切ということです。

そして、阿蘇と草部の神話から始まる、今に継がれるお祭りや習慣は「抱き参らせる」ことの一つの型を表しているのではないかと。

 

つまり、本来はどっちがどうで、滅ぼした、滅ぼされたといろんな歴史がこれからどんどん明らかになって行くだろうけど、ここでみんな仲良くできなかったら、本当に次はないよ、というのが日月神示の神様のいいたいことのかなと考えました。

 

だから妄想の続きを言えば、草部神話の日八井命こそ、スサノオだということになります。というかスサノオのオロチ退治と同じような話は日本どころか世界中にもあり、それらは全て国立常神の封印の逸話の暗号を表しているのではないかと。

ちなみに、瀬織津姫はこの場合、龍の巫女でしょう。いけにえ的な話も定番ですが、むしろ龍神を呼び出すことができる存在という考え方です。

国常立ち命を瀬織津姫が呼び出して、スサノオが倒すという悲しい一連の出来レースが、「岩戸しめ」なのではないかと

 

・・・妄想は以上です。

こういう想像をふくらませる度に、つじつまの合わないことがあると感じつつ書いてしまうのは、一応その時点での仮説を作っておきたいからです。

私はただのスピオタで自由なピエロですから、自由な発想ができます。そうしてそのうち、全て納得できる仮説ができたらいいなと思っています。