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神武天皇と応神天皇が同じだとしたら、幣立神宮が隠れ宮になった原因は神武天皇?

熊本の幣立神宮はミステリアスな神社です。

私の認識では、昔、船井幸雄さんがいち早くカタカムナ理論の「ケガレチ(気枯地)」と「イヤシロチ(弥盛地)」という言葉を広め、そのイヤシロチの代表格の一つが幣立神宮だと紹介されました。そのイヤシロチという言葉が現在のパワースポットの先駆けです(イヤシロは、一時期の癒しブームにもつながるし、ゴロがいいですね)。

だから、幣立神宮はパワースポットという言葉とセットでどんどん有名になったようです。

 

その幣立神宮は、なんと一万五千年の歴史があるとの言い伝えがあるとか。

もう、ムー大陸に手が届くような気の遠くなる昔です。そんな重要な日本の聖地が最近になるまで話題にならなかったのは、ある時期から「隠れ宮」になっていたからだそうです。そして最近になって表に出ることとなったというのです。

では、ある時期とはいつかというと、応神天皇の時代だとか。

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応神天皇の漢字は違いますが、幣立神宮の数ある社の一つの、この由緒書き。

高天原の乱当時の十五代天皇である。

日の宮隠れの原因となったので、後世にお祀りした。

上の写真はもう一昨年になる記事にアップしたもののコピーです。この文章がずっと気になっていて、いつかこの謎解きをしたいなと考えて忘れないよう、載せていたものです。

むしろ最近のマイブームであった瀬織津姫や草部神話、高千穂伝説よりもこの神社に対する興味が古事記の神様への興味の原動力となったという方が正しいです。

 

もう最近は情報過多気味で理解が追いつきませんが、歴史作家の関裕二さんの説では神武天皇応神天皇は同一人物です(前日記事参照)。

ということは、「高天原の乱当時の」とは、初代神武天皇に由来する高天原の乱ということです。なんだかこの由緒書きが、とてもリアルに感じます。まさか、神主さんが関さんの著書を読んで書き記したわけではないでしょうに。

 

というわけで、神武天皇のごたごた、つまり仲間に裏切られて宮崎まで逃げた武内宿禰神功皇后が、神武(応神)天皇を育てて巻き返しをはかろうと、神武東征に出発した頃の乱という話になります。

 

ところで、関さんは初代神武天皇と10代崇神天皇と、15代応神天皇は全て同一だと考えてらっしゃるようです。だとすると、時代をいつに設定したら良いのかという疑問が生じます。

もともと、阿蘇の健磐龍の命の伝説にも矛盾があったのです。神武天皇の孫なら、まあ単純に言って3代天皇と同世代のはすですが、12代の景行天皇が九州を訪れた時に応対しているのですね。これは日本書紀健磐龍命阿蘇津彦)が出てくる唯一のシーンだそうです。しかしそれ以外の逸話と、700年くらいの誤差があるのですって。

 

で、関さんの本から生じる疑問はまた関さんの本の続編を読むモチベーションになるわけですが、読んじゃうとさらに情報過多になってブログを書く頃には内容を忘れちゃいます(笑)。

 

だからこのあたりで、妄想でもいいから今までのピースをつなぎ合わせる必要があります。とりあえず今の雑感とかから書き始めます。

まずは、私には幣立神宮は今の天皇の立場に近い感じがしています。

というのは、伊勢や出雲とかの小競り合いがどうとかは超越していて、ただ日本を象徴するような立場であったということです。

もともと聖地であり超パワースポットであったその土地に、たまたま健磐龍命という神様が幣を立てたから、通称「幣立神社」になったのであり、健磐龍命を祀っている社はあるけど、大本は天御中主や大宇宙大和神という究極の神の社なのだと考えています。

政(まつりごと)ではなく祭(まつりごと)にのみ特化しているイメージです。

今回は、これだけです。争いを好まず、日本が統一するかどうかの戦乱の始まり予感して隠れ宮となったという仮説一つだけ。

つけ加えるなら、それがいつかはわからないけど、神武天皇の時代の話だということ。

あとはまだ、ゆっくりと考えます。