新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

古代の龍とナマズとサメは同じものなのではないかと考えてみる

関裕二さんの本は賛否両論のようです。

私は面白いし、なるほど、と思うのですが歴史学者に言わせるとソースが曖昧であり、例えば「日本書紀によると」と書いてあるにも関わらずその該当箇所がどこにもないとかの指摘があるとか。

 

確かに関さんの本を読んでいたら、豊玉姫が出産の時に「龍」の姿を現して、という内容の記述がありました。私が現代語訳の古事記で確認したら、それは「サメ」の姿でした。

しかし、有名な因幡の白兎のくだりではウサギの皮を剥いで丸裸にしたのは同じく「サメ」ですが、原文では「ワニ(和邇)」と書かれているとのことです。

 

で、やっと本題ですが、もしかすると古代人はワニもサメもナマズもヘビも、全部ひっくるめて龍の眷属だと考えていたのではないでしょうか。

関さんがこの意見に賛成してくださるかはわかりませんが、ワニと龍の境界が曖昧だという認識があるからそのように表現したのだと考えます。

 

古代の謎解きをする本にはよく、「海人族」という言葉が出て来ます。

なるほど、海人と考えると、西日本が歴史の主役だったのがうなずけます。日本の中で一番太い胴体の部分、つまり関東から長野や山梨のあたりはかなり内陸ですから、交通上の難所です。

逆に今の車社会では考えられませんが、日本海、瀬戸内海ついでに琵琶湖はは重要な交通ルートだったのですね。

瀬戸内海なんてもう、動く歩道みたいなものでしょう。

我が故郷の新潟県は、東北に突き刺ささっているような形なのに、なぜ東北地方ではないのか疑問に思っていましたが、日本海ルートで出雲との交流が容易だったと考えれば、確かに、「北陸」という言葉がぴったりはまります。

 

海人族は龍神を信仰していて、海路ではサメがその眷属で、内陸ではナマズがその眷属だったと考えるわけです。

 

長野の諏訪大社もナマズ信仰があるところですが、こんな言い伝えがあるそうです。

神無月の10月には、出雲の神様に呼ばれて各地の神様が集まるが、諏訪大社の神様はでっかい龍神で、あまりのでかさに出雲に顔を出したはいいが、胴体はまだ諏訪に残っていた。これが交通の妨げになるので、出雲の神様は「お前は来なくていい」と言った。以来、諏訪大社だけは10月でも神様がいる、と。

日本で内陸という言葉は似つかわしくはないですが、海のない長野県の諏訪大社は、かなり内陸です。そして阿蘇も九州の中心に近い、かなり内陸です。

 

で、阿蘇です。例によって、妄想レベルです。

草部吉見神社では大蛇を退治した日子八井命の逸話がありますし、阿蘇神社健磐龍命あナマズを退治した逸話があります。

もしかしたら、これは同じ逸話を借用したのではないかと考えてみるのです。

オリジナルが草部吉見神社で、それをパクったものの、あまりに同じすぎるから、大蛇をナマズに変えた。ナマズにはその漢字の通り「念」つまり呪いの意味があるから、ナマズの方には実体がなかったと考えるわけです。草部吉見神社はそれ自体が下り宮なので鎮魂になりますが、あまりに影響力が大きい神様なので、その荒魂をナマズに例えて国造神社で祀ったと。

荒魂に対して、和魂が阿蘇神社の国龍神です。

 

瀬織津姫を知っている人には、伊勢神宮の外宮が瀬織津姫の荒魂を祀ったものだというのは有名ですが、その発想を応用した感じです。

 

自分で考えた仮説(というか妄想)同士でもまだ辻褄が合わないことも多いのですが、それでもこうして書くことで、自分の理解は少しづつ進みます。

 

冒頭の関さんの話に戻りますが、こういうマニアックな話題は、どこから書き始めていいものやら悩んでしまいます。関さんの本も何冊か読むとかなり内容が重複するのですが、初めて読む方にはそうでないと理解できないだろうし、難しいものです。

 

また、瀬織津姫シリーズの著者のように、考え始めたら全部が瀬織津姫に見えてくる危険もありますし、でも歴史というのは意外にシンプルなのじゃないかとも思えます。

その上で、ナマズもサメもワニも、また、馬も牛も龍の眷属だという気がしてきました。