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もしかして、聖徳太子ロスは日本書紀の誘導?

中学生の頃の歴史の時間を思い出してみました。

当時の教科書の聖徳太子の時代の前後の話は、ほとんどが日本書紀を元に書かれていたはずです。

私は子供の頃から歴史の授業は好きな方ではありましたが、天智天皇持統天皇の時代あたりは複雑すぎて理解できませんでした。特に、天皇は子供の頃はナントカ皇子と呼ばれるので誰が誰なのか混乱しちゃいます。

しかし何より、その前の聖徳太子インパクトがあまりに強すぎます。

 

もしかしてこれは私だけの感想かもしれませんが、歴史の授業で聖徳太子がいなくなると、軽い聖徳太子ロスになるんです。だからその子供の山背大兄王に望みを託しますが、簡単に蘇我氏に殺されてしまいます。私世代の、当時の教科書では。

そして、そのあと登場するのが、中大兄皇子です。これが天智天皇ですね。聖徳太子の子供を殺した憎い蘇我氏をやっつけてくれたヒーロー。

 

悲劇の山背大兄王と、ヒーローの中大兄皇子が「大兄」つながりで頭の中で結び付けられます。

かたや、のちの藤原鎌足は、最初は中臣鎌足という名前であり、ヒーローの中大兄皇子とイメージがカブるんです。

これって、偶然なのでしょうかね。

 

1300年後の私ですら、この聖徳太子の息子からの漢字リレーによって、中臣鎌足がなんとなくいい人のイメージがついちゃう。これは藤原氏のイメージ戦略の一環のような気がしてしょうがないのですが。

 

というのも歴史は勝者によって作られるといいますが、関裕二さんの本を読んでなおさら強く思うのは、やはり日本書紀は藤原家が中心となって編纂されたものだと考えられるからです。

蘇我氏の功績を実体のない聖徳太子のものにしてを神格化すると同時に、蘇我氏は徹底的に悪者に仕立て上げて、さらにそれらを全く関係のない藤原氏のイメージアップに利用するという一石二鳥。

 

まあ、この時代には古人大兄皇子とか、似たような名前があることはあるのですが。調べてみたら、大兄という称号のようなものは、王位継承権をもつ皇子の尊称なのではないかと言われてはいるけどよくわかっておらず、ブームのようにこの時代だけにあって、中大兄皇子を最後にその呼称はなくなっているようです。

偶然なのかもしれませんが、そこまでイメージ戦略を考えていたのだとしたらすごいな、と思ったという話でした。