新まにあリュージョン!

霊感なしのスピリチュアルオタク

アマテラスが3500年前の幣立神宮の末娘ですって!?

なかなか時間が取れなくて更新が滞りがちです…。

 

さて、私がよくチェックしている天下泰平ブログには、不思議なことがたくさん書いてあります。

2月29日の内容は、アマテラスという人物(神)は違う時代に複数人がいた、という話が出て来ます。ブログの著者である滝沢さんが把握しているのは3人だそうです。

tenkataihei.xxxblog.jp

 

最初がなんと、

3500年前、スサノオと呼ばれた出雲王の第2夫人となった阿蘇の幣立神社の末娘。後に大国主の妃となり、四国の阿波で卑弥呼となった女性ですが、それまではアマテラスという名で強い権力を持っていました。

 

ですって? さらに、

2人目はニギハヤヒに象徴されるように、男神と呼ばれた「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)」のように男性で天照(あまてる)の称号を引き継いだアマテラスです。

ちなみに、

3人目は、特定の個人ではなく「アマテラス(天照)」と呼ばれた太陽の光を使いこなす職業の集団です。

 

滝沢さんの情報がどこからのものなのかは分かりませんが、別の回の記事と照らし合わせることができます。スサノオの息子(3男)が饒速日ニギハヤヒ=ニギハヤ)だと書いてあったことがありましたから。

 

だとすると、スサノオの奥さんの一人もアマテラスという女性で、そのスサノオの息子もアマテラス(アマテル)だということになります。

 

奥さんの方のアマテラスは、その後、ニギハヤヒの養子であるとも言われる大国主の妃にもなっちゃうのですから、もうアマテル(ニギハヤヒ)とアマテラス(ヒミコ=幣立神社の末娘)は同時代に生きていたといってもいいでしょう。奥さんとニギハヤヒの血がつながっているのかはこの文章では分かりませんが、アマテラスの称号をアマテルに直接譲ったということですね。

 

しかしびっくりなのは、幣立神宮の末娘って!

もちろん、これらはいわゆるスピリチュアル界の話題です。

 

私はスピリチュアル界の話も参考にしながら、本当の歴史の推測の本である古事記や関裕二さんの本(これはトンデモ本と紙一重なのでしょうが、一応現実的な考察だと考えています。)なども読み、地域の事は実際に神社仏閣に訪れたりして総合的に仮説がたたないかと考えています。

 

現実的な考察をすれば、3500年前はちょっと古すぎるような気はします。

神武天皇の即位が紀元前660年と言われるのも本当は誇張で、実は3世紀前後の応神天皇あたりから今の天皇家の歴史が始まっているのではないかと言われているこのご時世です。

3500年ひく約2000年(2016年)で、紀元前1500年にすでにスサノオ卑弥呼がいたのでしょうか。

この年代考証を無視すれば、関さん説と天下泰平説は、かなり似ているのですが。

ただし、天下泰平の滝沢さんの親しいお仲間は、スサノオ蘇我氏のつながりは否定しているようです。私は、そのつながりはあると考えています。

 

しかしやっぱり、阿蘇津姫といい、瀬織津姫といい、幣立神社の末娘といい、なんだか女神なのか巫女なのかははっきりしませんが、女性神が歴史に重要に絡んでいるのは間違いないようです。

 

強引にここまでの仮説を結びつけるならば、

出雲王朝は3500年前に栄えていて、スサノオニギハヤヒ大国主という具合に王位が継承されていた。出雲王朝は、出雲から東の栃木あたりまでの東日本に勢力が及んでいた。

同じ時期には四国や九州を中心としたアマテラス王朝があった。これは、今の伊勢神宮勢力とも微妙に違う勢力だった。

アマテラス王朝の娘のアマテラスは、スサノオと政略結婚をした。

アマテラスは巫女だった。スサノオに跡継ぎができると、巫女の権利を跡継ぎに譲った。それがニギハヤヒで、男であるにもかかわらず神が降りてくる程の立派な人物だった。ニギハヤヒはどちらかというと政治より祀りで、父のスサノオと養子の大国主が政治担当だった。大国主は、勢力を広めようとしすぎて、裏切りや反乱にあい、最終的には出雲に封印された。

その仲間は諏訪大社、つまり長野より東に逃げた。

勝者のアマテラス勢力は、ずっと時代が下った藤原氏のあたりで伊勢神勢力となった。その頃に古事記日本書紀が編纂されたので、出雲一族が暮らす関東や北陸周辺は、一切話題に出てこない。富士山の記述が記紀には一切出てこないのはそのため。

 

・・・妄想ですかね。